若い頃に向田邦子のエッセーが好きで、たくさんエッセー集を持っていたのですが、渡英する時に、全部、処分してしまいました。私は、気に入った本を何度も繰り返して読むのが好きなのですが、向田邦子の本はいつも「お風呂のお伴」だったので、湯気でボロボロになっていたのです。
渡英してほぼ20年。「買わないと」と、いつも頭の隅にあったのですが、そのままになっていました。このままではいけないと思い、昨年のクリスマスに、自分へのクリスマスプレゼントとして、日本のアマゾンから向田邦子のエッセー集を5冊取り寄せました。
渡英してほぼ20年。「買わないと」と、いつも頭の隅にあったのですが、そのままになっていました。このままではいけないと思い、昨年のクリスマスに、自分へのクリスマスプレゼントとして、日本のアマゾンから向田邦子のエッセー集を5冊取り寄せました。
そして、先日から、向田邦子のエッセー集を読み始めました。毎晩、寝る前にベッドの中で15分ほど本を読むのが、長く習慣になっています。
ほぼ20年ぶりに読むエッセー集。憶えている話もありますが、忘れてしまった話も多いです。でも、全体を通して言えるのは、今読んでも全く古くないということです(向田邦子は1981年51歳でに飛行機事故で亡くなりました)。
特に、昨夜読んだ「手袋をさがす」には、頭をガツンとやられたような感覚を覚えました。
「手袋をさがす」のあらすじです。
******戦後間もない22歳の頃、向田邦子はひと冬を手袋なしで過ごしました。手袋をしなかったのは、「気に入ったのが見つからなかった」ためです。「気に入らないものをはめるぐらいなら、はめないほうが気持ちがいい」と考えていました。
風邪をひいたときには、家族にも「大事になったらどうするの」としかられます。職場の上司にも「君の今やっていることは、ひょっとしたら手袋だけの問題ではないかも知れないね」「今のうちに直さないと、一生後悔するんじゃないかな」と忠告されます。
上司に忠告された夜、「これは本気で反省しなくてはならない。やり直すなら今だ」と考え、帰宅時に、電車に乗らずに、歩き続けながら考えます。当時、彼女は若くて健康で、親兄弟にも恵まれ、暮らしにも事欠いていませんでした。つきあっていた男友達もいて、二つ三つの縁談もありました。
しかし、考えて至った結論は、「人並みの人生だけど、毎日が楽しくない。今ここで妥協をして、手ごろな手袋で我慢をしたところで、結局は気に入らなければはめないだろう」「気に入ったフリをしても、自分自身への安っぽい迎合の芝居に過ぎない」でした。
翌日からは、意を決して、自分の欲をとことん突き詰めるようになります。映画雑誌の編集部員の仕事に応募し、仕事をかけもちします。月給3か月分という高価な水着を買います。一生懸命仕事を頑張って、今の状況が物足りなくなり、「不満と高望み」が頭をもたげるようになると、ラジオのディスクジョッキーの仕事や、週刊誌のルポライターの仕事など、新しい仕事に挑戦していきます。
「欲しいものを手に入れるためには、我慢や苦痛が伴う。しかし、自分の我がままを矯めないでやっているのだから、不平不満や言い訳もなく、精神衛生上大変にいい」
******私自身を振り返ると、特に就職して社会人になってからは、「こだわる」よりも「丸く収める」ほうが大切だと、処世術として体感し、それを毎日実践してきたように思います。そのほうが、人間関係もうまく行くし、自分が傷つくことも少なくなります。長年の中で、それがいつの間にか無意識になり、骨の髄まで染みついてしまったと感じます。
コメント
コメント一覧 (2)
最近私は「死んじゃう前にやりたかったことをしなきゃ」と気持ちが焦って、とりあえずどんな手袋でもちょっといいかもと思ったらはめまくって「あ、違った」となりがちです
アメリ
がしました