義弟が亡くなった翌日から、義父が食事を食べなくなりました。

義父は10年ほど前にパーキンソン病と診断され、特にここ3年ほどは、体の不自由と、認知症が進んでいました。ケアホームにはどうしても入りたくないと言うので、訪問介護やデイセンターなどを利用しながら、義母が自宅で介護をしていました。

パーキンソン病の症状として、筋肉がこわばって体のバランスが取れなくなる、というのがあります。体がうまく動かせないため、歩行器を使うのですが、バランスを上手く取れず、転んで怪我をすることが多いので、日中でも夜中でも、始終、誰かが見守っている必要があります。

自宅で看ている義母の苦労は、並々ならないものでした。深夜や早朝などに、義父が動けなくなったり、転んだりして、近居の夫と私が助けに呼び出されるというのも、しょっちゅうでした。夜に転んで、骨折したかもと救急病院に搬送されるなど、割と大きなアクシデントも、1年に1回ぐらいの頻度でありました。また、認知症も進むので、人としての尊厳を考えさせられることも多かったです。

ちなみに、イギリスでは、「〇〇家」という家単位ではなく、夫婦単位の文化なので、両親が高齢になっても、同居するのは非常にまれです。老々介護になる場合が多いため、そのときにはどのように対処するのか、なかなか難しい問題だと思います。

義父が食事を食べなくなってから、義母は、医師から、延命措置をする(チューブなどで食事を与える)か、このまま食事を止めるか、選択を迫られたのですが、義父本人の意思を尊重して、食事を止めることを選択しました。

ホスピスに移すように勧められたのですが、コロナ禍で、ホスピスに移すと自由に会えなくなるのではと、義父が寂しくないように、自宅で看取ることになりました。

夫と私は、義父と話ができるうちに会っておきたかったので、マスクを付けて、毎日会いに行きました。残念ながら、ほとんどは眠っているだけでしたが、寂しがり屋の義父に、義父を皆で見守っていることを伝えたかったので、二人で大きな声で、義父が好きな、釣りやワインなどの楽しい話をしていました。

義父が食事を食べなくなってから2週間後の夜、ちょうど午前2時半に義母から「亡くなった様子だ」と電話があり、急いで駆け付けました。

とても穏やかな顔をしていて、眠っているようにしか思えませんでした。「亡くなってしまった」という悲しい気持ちがあるものの、「苦しまずに亡くなってよかった」「もう転んで怪我することもなくなって良かった」と、ホッとしたことを覚えています。

8月ですが、ひんやりと涼しい夜でした。その日に感じたことは忘れないでしょう。